繋がりを感じよう~集合体の一部分としての「わたし」~

繋がりを感じよう~集合体の一部分としての「わたし」~

自分が自分という枠を超えて考える

ある女性歌手がいた。彼女は、容姿端麗で、歌も上手、詩も書けて、作曲も出来た。いわゆる、シンガーソングライターだった。「私が作った歌詞に、私がメロディーを載せて、私が歌う」。彼女は、シンガーソングライターとしての仕事に誇りを持っていた。実際、彼女の歌は、天使のようだと評判だった。

あるとき、彼女の事務所の社長が言った。「今度のシングル、作曲は砂糖先生、作詞は山本さんでいこう」。彼女には、信じられなかった。わたしは、詩も書ける、曲も作れる。歌しか歌えない、そこらのアイドルとは違う。どうして私が、他の人の作った作品に、参加しなければいけないのか。納得のいかなかった彼女は、いつものように日曜の朝、教会に行き、牧師様に相談した。

歌手
「牧師様、私は事務所をもう信じる事が出来ません。どうして、私が他の人の作品なんて歌う必要があるのでしょうか。私は、詩も書けるし、歌も作れる。別の事務所に移籍しようかしら」

牧師
「どうして、そんなに嫌なんですか? 他の人の作品でも、あなたの歌声なら素敵な曲になるでしょうに」

歌手
「私が作っていない曲なんですよ? そんな歌、誰が歌っても同じだと思います。なにより、私が歌う必然性が無い。誰でも良いじゃないですか」

牧師
「あなたは、右腕だけで、歌を作るのですか?」

歌手
「いいえ、私はこの全身を使って、作曲します。右腕だけで、曲が作れるわけがありません。全身全霊、魂を込めて」

牧師
「なるほど。ということは、あなたが、右腕で書いた詩に、あなたが、左腕で作曲したメロディをのせて、あなたの、のどを震わせてその歌を歌っていると。あなたは全身を使って、詩を書き、曲を付け、声を出して、歌となる。ならば、こうは思えませんか。あなたの全身もまた、世界の一部であると。神の左腕である砂糖さんが曲を書いて来た。神の右腕である山本さんが詩をのせて来た。神の、のどぼとけとしてあなたが、それを歌う。全て神の身体の中で完結すると」

歌手
「どういうことですか?」

牧師
「要するに、あなたが右腕だけで曲が作れないように、神も、右腕だけでは曲が作れないのです。神の身体は、あなたのその肉体を超えています。あなたの肉体だけで完結する必要は無いのです。作曲したのは、右腕で(作曲家砂糖先生)、作詞したのは、左腕で(作曲家山本先生)、歌を歌うのは、のどぼとけです(歌手)。ホラ、あなたを超えた、大きな身体が作った曲になるでしょう。あなたが、右腕だけで書いた曲よりも、全身で創り上げた曲に魂ゆれるように、神も、右腕(歌手)だけで作った曲よりも、全身を使って奏でる曲の方が、荘厳な仕上がりとなる気がしませんか?」

歌手
「そうか、私が右腕だけで曲が作れないように、私で完結せず、私を超えた大きな集合体として……、その集合体の一部分として、「わたし」が参加するのね」

牧師
「あなたが、「あなた」を超えれば、「他の人が書いた曲」なんてこの世には無くなります。全ては、あなたが書いた曲となります。あなたの、違う身体を通して、あなたが書いた曲です。あなたの、違う肉体を通して、あなたが書いた詩です。さぁ、あなたが、右腕だけで歌が書けないなら神ののどぼとけとして、その歌に参加して下さい」

あなたが、あなたの右腕だけで書いた歌よりも、あなたの全身全霊を込めて作った歌の方が素晴らしい曲になる。それなら、神の一部であるあなただけで作った歌よりも、あなたの枠を超えて大勢で作った曲の方が、より壮大な曲になると思えませんか?

どうして、森の朝がスガスガしいかと言うと、そこに居る、全員で、歌を歌っているからです。鳥がさえずり、葉っぱがガサゴソ鳴り、風が吹き、しずくが落ち。なんたる、オーケストラ。
曲に限らず、あなたは、「あなた」だけで完結する必要はありません。「あなた」を超えた、大きな部分の一部として、一部である「あなた」として、「あなた」を委ねてみてください。

上手くいけば、「あなた」が一部だと感じられる事でしょう。上手くいった証拠に、綺麗な音が鳴ります。何でも、自分で出来る人が居ます。何でも、自分でやりたい人が居ます。その人を、組織の一部として、組み込めれば、会社は大成します。森に居るトキ、あなたは森の一部です。オーケストラのコンサートを聞きに行った時、あなたの咳払いの音は、交響曲の一部です。全てで、何かを、奏でています。
あなたは、「あなた」を超える気になれましたか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上は、ブログ「笑えるスピリチュアル」からの転載です
笑えるスピリチュアル
http://ameblo.jp/mitsulow/
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・