『日本ふしぎ発見――地球と人類再生のために見直そう日本の不思議文化の旅』PART.8

『日本ふしぎ発見――地球と人類再生のために見直そう日本の不思議文化の旅』PART.8

第8回 「南方熊楠の不思議体験と日本の神々を守る戦い」

「精霊である日本の神々を守ろうとした南方熊楠!南方熊楠から宮崎駿監督へ」

『新・あの世はあった』には、文豪以外に知識人・文化人の不思議体験も登場します。中でも、不思議体験の宝庫のような南方熊楠は、柳田国男とともに日本民俗学の祖と言われますが、民俗学にとどまらず幅広く様々なジャンルで縦横無尽に活躍した知の巨人とでもいうべき人物です。

熊楠自身は、あまりジャンルを意識していなかったと思われますが、これこそ学びの本来あるべき姿ではないでしょうか。
テレビで自分の専門以外でも何でもかんでもわかったような口を利くオールラウンド知識人(?)の図々しさにはあきれますが、他者に対して発言する際には謙虚な姿勢を保ちながらも、自身が学ぶ際にはジャンルにとらわれず幅広く宇宙・自然・人間の全体像をふまえて見てゆく方が、専門分野についても的確な見方ができ、大いにプラスになるのではないでしょうか。また学ぶことの面白さも出てくることと思います。

さて、南方熊楠ですが、生前には幽体離脱、霊体験などの不思議体験を重ねておりました。そのため、死後に自らの脳を調べてもらう事を要望したと言います。そこで、熊楠の脳のは、現在も大阪大学医学部にホルマリン漬けにされて保存されています。

熊楠の不思議体験には、例えば、「身体から霊魂が抜け出て家の外の様子を見てきた」、「父の幽霊の導きにより絶滅したはずの植物を発見する」、等があります。幽霊を見た体験は非常に多く、その中には父母や知人の幽霊に導かれて発見をしたというものも多々あります。こうした不思議体験の記録は私信にも多くありますが、公的な刊行物に掲載される文章にも記されています。先の幽体離脱について書いた文章は学術雑誌に、父の幽霊の導きで絶滅種を発見したという文章は和歌山県の新聞に掲載されています。詳細な内容は、『新・あの世はあった』をご覧ください。

さて、南方熊楠は、日本古来の精霊である神々を守ろうとした人物でもあります。
政府は明治39年に神社合祀令を出します。1つの町村に1社という形で神社を統合するというこの勅令は一見合理的に見えて、実は非常に不合理な勅令でした。日本の神は、本来は神社の建物(本殿)にいるわけではなく、建物の後にある鎮守の森に宿る(つまり自然の象徴たる樹木に降りてきて宿る)わけです。ですから、それぞれの鎮守の森にはそれぞれの神がいるわけで、神社を1か所にして建物を1つにまとめたところで、それぞれの地域の鎮守の森に降りて宿る神が1つになるわけではありません。

なぜこのような勅令が出されたのかと言えば、現在と同じで、政府・官僚と利権とが結びついていたからではないでしょうか。神社が廃止されると、それに伴い鎮守の森の木々が伐採され、ご神木と言われるものまで伐採・販売されていったと言います。

この時、廃社になった神社は3年間で約4万社、最終的には7万社と言われます。
この大量の伐採により、山や森の保水力が衰え川の氾濫が起きたり鳥が住めなくなったり、土砂が海に流れ魚が取れなくなったり、など自然破壊が進みました。しかし、何よりも日本人は潜在的にアニミズム信仰を持っている民族ですから、自然の破壊は心の破壊と表裏一体でしょう。

日本の近代化の推進は、自然を破壊したにとどまらず、その自然に宿る神=精霊を大切に守っていた日本人の心までも破壊してしまったのです。
日本の神々の原型は歴史上の人物等ではなく、自然の中に存在したわけで、本来、神道や神社は政治の道具ではなく、自然及びそこに宿る精霊に対する信仰だったわけです。
熊楠は神社合祀令に対して無学な官僚が我利我欲を図った「神狩り」であると批判し、反対運動を行います。そのために投獄の憂き目にもあいますが、それでもめげずに反対運動を続けます。日本人の心のよりどころである神社を守るため、当時、高級官僚であった柳田国男も、南方熊楠に協力します。熊楠らの反対運動が実り、神社合祀令という悪法は大正7年にようやく廃止されましたが、時すでに遅きに失していました。

宮崎駿監督のアカデミー賞受賞作品である『千と千尋の神隠し』は、近代化による自然破壊が自然破壊にとどまらず、日本人の心の深奥にある自然の精霊=神々への潜在的な想いまでも破壊してしまっていることへの警告と目覚めをささやきかけるという点で、南方熊楠の影響を感じさせる作品です。宮崎監督のオリジナル作品には、この他、柳田国男や宮沢賢治の影響も色濃く感じられます。

『南方熊楠の世界』

南方熊楠著・中沢新一編『南方熊楠コレクション』(河出文庫) 全5巻

三浦正雄著『新・あの世はあった』