『日本ふしぎ発見――地球と人類再生のために見直そう日本の不思議文化の旅』PART.7

第7回 「柳田国男の冒険」

「柳田国男は神隠しにあった!真昼の星を見た!」

第6回「不思議の国トオノ」で「日本の不思議」に惹かれたラフカディオ・ハーン=小泉八雲の流れを受け継いだ人物として、柳田国男が登場しました。日本民俗学の祖、『遠野物語』の著者として名高い柳田国男は、「伝承としての不思議体験」に興味があったわけですが、そのきっかけは彼自身もまた不思議体験をしていたからではないでしょうか。

柳田の集めた伝承は、不思議に満ちあふれています。なかでも「神隠し」の伝承は多く『山の人生』等には驚くほど登場します。

「神隠し」伝承で有名なのは、やはり『遠野物語』中の「寒戸の婆」の物語です。
この物語は、たそがれ時に家の外に出ていた女や子どもがよく神隠しにあうと言う前置きで始まります。ある時、寒戸と言う所の若い娘が梨の木の下に草履を置いたまま行方不明になります。30余年後のある風の激しい日に親戚がその家に集まっていると、その娘が、老婆となって帰ってきます。老婆は、皆に会いたいから帰ってきた、会うことができたので帰ろう、と言い跡形もなく姿を消したというお話です。

さて、なぜ柳田が多くの「神隠し」伝承を収集したかと言えば、柳田自身も何度も「神隠し」のような心神喪失体験をしているからではないか、と思われます。
まず4歳の時に「神隠し」になりかけました。神戸に叔母さんはいるかと何度も母親に尋ね、出産間近で心の余裕がない母親が面倒くさがって、いるよと適当に返事をしたところ、しばらくたって母親が気がついたときには、いつのまにか国男少年の姿は消えていました。国男少年はずっととぼとぼと歩いていましたが、3~4km先で畑仕事をしていた隣家の方に声をかけられ助かりました。

また、11歳の時の体験も、狐に憑かれたと言われるような心神喪失体験と似ています。家族で山へ茸採りに行ったときのことです。山の向こう側の裾野にある池の畔で休んだ後で帰ろうすると、山を越えて元来た方角に引き返したつもりだったのに、また池の畔に出てしまいました。その時の国男少年の表情が異様だったらしく、母親は突然、少年の背中をたたきました。愛情深い母親で叩いたことなどなかったそうですが、国男少年の表情がよっぽど異様であったのか、反射的にたたいてしまったようでした。

こうした柳田の不思議体験の中で最も有名なのが、小川家に関わる「真昼に星を見た」体験談です。

近所の小川家をめぐる不思議な事件は他にもあり、小川家の下男が狐の穴を塞いだ後に、国男少年は、狐に見られている気配を感じたり金縛りにあったりしました。その翌日、発狂して自分の妻を殺害した隣家の男に、小川家の主人が切りつけられたというものです。これも狐に憑かれたと言われる体験と似ています。

さて、「真昼に星を見た」体験ですが、小川家には、現在の主人の祖母を家の神様として祀(まつ)った小さな石の祠(ほこら)がありました。国男少年は祠の神様のご神体が見たくなり、開けて見てしまいました。すると、そこには一握りの綺麗な蝋石の珠がありました。それを見た途端、興奮して表現しようがない奇妙な気持ちになり、澄み切った青い空を見上げると、そこには数十の星があったと言います。

小川家の祖母は106歳の長命で逝去した方で、蝋石の珠をいつも大切に撫でていたそうです。『新・あの世はあった』にも登場する評論家小林秀雄は、柳田は「珠に宿ったおばあさんの魂を見た」と述べています。
神隠しも狐憑きも真昼の星も、脳内科学の視点である程度の説明はできると思いますが、全てが説明できるわけではありません。心神喪失で見えた風景が、なぜその風景であったのか等すべての不思議が科学で解明されているわけではありません。どんなに科学が進んだとしても神秘はなくならないでしょう。いかがわしい迷信じみた神秘は否定されるべきですが、私たちは、大自然大宇宙の神秘は大切にしてゆきたいものです。

柳田国男著『山の人生』…神隠し体験談

柳田国男著『故郷七十年』…真昼の星体験談

柳田国男著『妖怪談義』…妖怪研究

三浦正雄著『新・あの世はあった』