誰かの意見で自分をがっちり固めていませんか?~自分を自由にしてあげる為にできること~

自分を自由にしてあげる

ヨーガ療法士をしているカタオカマリコです。私がヨガやマクロビオティックを教える内容は経験に基づく事なので、内容は万人受けするわけではありません。ですので、受け取る側が合わないと思ったら流したり、捨てたり出来るようにしてあげることを意識しています。

先生が言う事を全て聞こうとする生徒さんがいます。むしろ、先生になろうとしている人や、先生をしている人ほどそうかもしれません。その結果、先生から学んだ内容と異なることに対して排他的になってしまうことも。試したり検証もせずに、すぐ無視してしまう方もよく見かけます。

正直私は、それをもったいなぁと思います。しかし、これも人それぞれです。それもいいんです。別の確度から見たら、その姿にはぶれない強さもあるからです。

「正しさ」の基準は人によって違います。結局は、その事象との相性がいいかどうかかもしれません。自分がした経験は、自分だけのものなので、他人に合うとは限らないからです。

だから、生徒さんが「ここは合わないわー」、とはっきり言ってくれた時、私は実はホッとしているのです。それは、日常生活でも同じ事かも知れません。特に子供や、生徒さんなど、ともすると向こうの方の立場が弱くなる場合に、そのようにハッキリ言ってもらえると安心します。

何故なら、「言われない事」と「言わせない事」は大きく違う、と私は考えるからです。言えるという事は、相手が自由な選択ができたということです。いつも私は、私の経験に従ってもらう為に話をしているのではなく、生徒さんが自分自信を自由にする為の提案をしているに過ぎないからです。

「提案」であって「決定事項」をではないこと。これは何かを教えるうえでとても重要なことです。相手が言うことが、違ったら違ったで、誰にも気を使わず、自分の束縛を解くために行動して良いのです。自分を束縛すれば、自分を無視した選択が蓄積し、垢で固まってしまいます。

 

最も重要なのは、「垢を落として赤ん坊の時に戻ること」。ただそれだけです。これが、私がいつも大切にしていることです。私は私を束縛したくないし、誰も束縛せず生きていたいと常に思っています。去る者は追わず、そして期待せず……。もしも、恋愛でこれが発揮されれば別れ上手ですよね。恋愛上手とは、別れ上手である事だと私は思います。実際、個人的に別れた人から怨まれた事も、揉めた事もあんまりありません。残るのは感謝のみで、それ以外は残らない。「去る者追わず、期待せず」で、心の底はいつも感謝の気持ちで溢れています。これが、自分を自由にする、私なりの方法です。

自分自信を自由にしてあげる為の模索は、誰かがしてあげられることではないし、させるものでもありません。自分自身がしっかりと責任を持ってやるんです。そして、自分の成長に合わせて、その方法も徐々に変化していくことも人生の面白さかもしれません。