「あなたはだあれ?」~肉体でも肩書きでもない、本当の「私」を探す方法 PART.11-①

「あなたはだあれ?」~肉体でも肩書きでもない、本当の「私」を探す方法 PART.11-①

撮られたDVD『空海』

この世で一番不思議な現象、「私」。「目」や「耳」や「鼻」や「思考」などを使って、何か(認識対象物)があるんだなと、認識する、「私」。全ての認識主体(認識する側)である、「私」。その「私」を、「私」が探したが最後、絶対に見つからない、「私」。
そんな「私」の居場所に関しての言葉を残しているのが、あの空海です。
空海曰く、「私なんてものは、外にも内にもその間にも居ない」。

僕たちは、このシリーズでもう11日間も私を探しています。『私は、○○である』と言ったが最後、その○○を認識する場所に、新たな私が現れるので、原理的に『私は、○○である』とは言えない。むしろ、私が○○では無いからこそ、『私は、○○である』と言えるのです。『私は、この身体である、脳みそである、名前である、肩書きである』そんなの全て、嘘です。「私は、その全てでは無い。私は、何でも無い。私は、全てでは無い存在である」そこまでは分かりました。

空海はこう言うかもしれません。「『我、○○なり』というのは、とてもおかしい物言いですね。これは、どのような状態かと言うと、○○と私を同一化しようとしている状態です。
自己同一化の状態。私とは、元来この世にある何かでも無かったし、今も何かでもありません。何とも同一化してはいけない、まさに、「空」の状態です。全ての全てを、ただ観察する者。それが、私である」

そう言われたら僕はこのように答えるでしょう。
「えぇ。全ての、全てを観察(認識)し続けている存在こそ、“真の私”だということは僕たちも分かったのですが、認識という現象が経験として感じられるということは、やはり認識主体である“真の私”は居ることになる。どこに居るかは分からないけど、居ないとおかしい。でも、探すと見つからない」

空海
「わかりますよ。“私なんて居ない”と言ってしまえばとても簡単ですが、そのような体得は、理解できないはずです。全ての全てを観察し続けているものこそ、真の私なのだから、あなたが“私探し”をしている間も、ずーっと、あなたを観察しています。見つける者を、見つけられるわけがない。探す者を、探せるわけがない。捕らえる者を、捕らえられるわけがない。究極の観察者こそ、究極の私なのだから。
ところで、話は変わりますが、平成の世のなかを見て回り、私はとても感動した。こんな素晴らしい、魔法のような世界に日本がなるなんて想像すら出来なかった。電球、自動車、飛行機、スカイツリー、パフェ、テレビ。そのどれもが、魔法で出来ているように感じます。なかでも、DVDにはやられました。」

みつろう
「DVD?」

空海
「そうです。そのDVDです。これは凄い。私の時代にDVDがあれば、私は全然苦労しなかった」

みつろう
「あなたの時代に、DVDがあるだけで、一体何の苦労から解放されるのですか?」

空海
「私の時代、“私とは、究極の観察者である”という説明をする場合、【歌舞伎役者】と、それを【鑑賞するお客さん】という例え話をよく使いました」

みつろう
「なるほど。あなたがいた時代に、歌舞伎があったか無かったかなんて疑問は、今は無視して、続きをどうぞ」

空海
「歌舞伎を見ているだけの、究極の観察者であるお客こそ真の私。舞台上の役者が切られようが、舞台上で妻と別れようが、どれだけ苦しもうが、全ての観察者である私(観客)には、なんの関係も無い。それなのに、観客のあなたは“私は主役の五右衛門である”と自己同一化を始めた。五右衛門を見つめる究極の場所(客席)に居るからこそ、五右衛門を認識出来るのに、“私は五右衛門である”と言い出してしまったのです。
“私は、○○である”?そんなバカな話があるでしょうか。私は、説法を始めました。
究極の私とは、観客席に居る。舞台で何が起ころうが、何を考えようが、何を感じようが、それらは舞台を見つめているからこそ、認識出来たものであり、真のあなたと、舞台(この世の出来事)には何の関係もありません。
だから、不幸とはそもそもあなたには絶対に起こらない現象なのです。あなたが、観客であったことを思い出すことができれば、不幸なんて起きません。五右衛門が斬られようが、煮られようが、あなたには一切関係ありません。あなたは、その全てを観察できる場所に居るのだから。このように、私は主張しました」
みつろう
「とっても素敵な話じゃないですか! どこに、苦労があったのですか?」

空海
「私がこのような説法で、真の私の居る場所と不幸が起こるシステムを説明したのに、一休という坊主が、こう聞いてきました。“舞台の刀が、間違って客席に飛んでくる場合もあるでしょう? と言うことは、観客と舞台の間にはやはり関連があるのです。舞台で五右衛門が風呂で煮られる時は、五右衛門と自己同一化した観客も苦しむわけですよ”と」

みつろう
「なるほど、一休さんがトンチを効かせて、“観客席のヤジは、舞台役者に聞こえるでしょう”って言ったんですね。確かにそうですよね。すべてを、一方的に観察するだけの場所なんて無いはずです。観察できているということは、舞台からも客席に影響を及ぼせるはず。真の私を、舞台から探せるはずですね。」

~つづく~

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