「あなたはだあれ?」~肉体でも肩書きでもない、本当の「私」を探す方法 PART.11-②

「あなたはだあれ?」~肉体でも肩書きでもない、本当の「私」を探す方法 PART.11-②

空海による「私」と「真の私」

空海による、「私」と「真の私」。DVDの理論を使って説明が続きます。
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空海
「DVDを見た時に、これこそ私の求めていたものだ!」と思った。いろんな意味で。いいかい、DVDの中に居る女優が、“真の私”を探し始めたとしよう。私とは名前では無いと気付き、その肉体でも無いと気付き、脳みそでも無いと気付いた。どこかにその全てを認識出来る、真の私が居るはずだ!と。女優は、カメラクルーに聞いて回りました。“あなたこそ、真の私ですか? 私を撮り続けている、あなたが、真の観察者ですね?”と。しかし、その女優が、そのカメラマンを認識出来ている時点で、真の私は、そのカメラマンでも無いと気付いたのです。
女優は、頑張りました。全ての全て、私のこのボディの全ての全てどころか、私が思考を使って、認識している、【この考え】さえも、見つめている究極の認識主体が居るはずだ!しかし、どれだけ探しても見つかりませんでした。
そして、疲れ果てて、女優はカメラマンに聞きました。“ちなみに、このDVDは何枚くらい売れるんですか?”“え?100万枚も?わー、私って凄い売れっ子なんですねー。もう、私探しなんてやめて、女優業に専念しよう!”と。
わかるかい、みつろう君?
この世とは、【撮られたDVD】なんだよ。真の私は、DVD鑑賞室にいる。DVDの中で、その女優が真の私をどれほど想起しても、絶対に見つからない場所に真の私がいるのです。次元が違うのだよ。それなのに、鑑賞室では女優の全てを見ることが出来る。この、不公平感。一方的に、見つめることができる次元が存在しているのです。女優がどれだけ探しても、真の私が鑑賞室で何をしてるか分からないのに、真の私は、女優の身体から考えに至るまで、全ての全てを鑑賞できる、その立場にいるのです。そう、真の私とは、駅前のDVD鑑賞室に居るのです」

みつろう
「なるほど。そうなると、女優がどれほど探しても、真の私なんて見つかりません。それなのに、真の私は女優を観察できるのです。そうか、歌舞伎では説明できなかった仕組みを、DVDなら説明できるんですね」

空海
「女優はDVDのなかで言いました。“全ての私を認識出来るのに、私からは認識出来ない場所なんてこの世にある訳が無い”と。撮影されている瞬間に、真の私は誰だろう、空海かしら?なんて絶対に脳裏によぎらないですよね。平安時代の空海が、私のDVDを見ているなんて思わないだろうから。撮られたDVDから、見ている鑑賞者を特定することはそのくらい難しいのです。女優は真の私を探せません。でも、真の私は女優の全てを鑑賞できます。
次元の違いの概念を、こんなに簡単に説明できるDVDがある現代で、真の私の居場所に気付けないのがちょっとおかしい」

そこで空海が、一休も過去から呼び寄せて説明を始めました。

一休
「空海さん、なるほど。このDVDとは本当に素晴らしい。これならば、あなたが、あの日歌舞伎で説明できなかった次元の違いを説明できますね。そういうことでしたか。この世は、撮られたDVDです。真の私は、鑑賞室で、ただただ全ての全てを観察するものなのです。でも、ということは鑑賞室の私は、この撮られたDVDの演出を変更できないですよね?  全てを、ただただ観察することしか真の私には出来ない。口出しも、変更も、アドリブも絶対に出来ません。何故なら、既に撮られたDVDなのですから。でもそう考えると、本当の私って、そんなに不自由なのでしょうか」

空海
「一休さん、あなたが今想像しているのは、DVDが数本しかない世界ですよね。でも、実はDVDは数えきれないほどあって、何度でもチェンジすることができるのです。本当の私とは、チェンジし続けることが可能な立場にあるのです。全然、不自由な立場ではありません。どんなストーリーでだって、自由に見ることができるのです。全ての物語を体験できるし、それでいて、一方的な鑑賞者になることもできますよ」
皆さん、二人の話で何となく分かってきたのではないでしょうか? 「真の私」とは、ただただ全てを鑑賞するだけの存在である。その場所は、「私」が探し出すことは出来ない。「私」とは、もう既に撮られたDVDの中にいるのです。誰が、いま、このDVDを見ているのかなんて、「私」にはわかりません。真の私を、「私」は捕らえることは出来ません。
「私」とは、撮られたDVDを鑑賞している真の私が、「私は、○○である」と勝手に何かと自己同化したために生まれたものです。
僕たちが、普段感知できるのは、「私」だけ。真の私に目覚めるためには、「私は、○○である」という同化を全てやめること。本当は、何かと自己同化してはいけない存在こそ、真の私だから。自己同化出来ない場所に、真の私が居るのだから。真の私を、「私」には絶対に探せないのであれば、逆に言えば、真の私を、「私」やこの世の出演者たちが絶対に傷つけることは出来ません。真の私は、絶対的に安全です。「私」が刺されると死ぬほど痛いのです。でも、その痛みを認識する場所に、真の私が居ます。
刺されて、「痛い! 痛い!」と泣き叫ぶのは「私」です。「真の私」は、それをただただ見つめています。

真の私は、刺されません。
刺されている「私」を認識するのが、「真の私」だから。
真の私は、痛みを感じません。
痛みを感じている「私」を認識するのが、「真の私」だから。「真の私」は、「私」から一切干渉されないのに、向こうは、勝手にDVDの何かと同化して「私」を生み出します。
とにかく、真の私はどこまでも安全なのです。

真の私とは、「私」には、絶対に検出されない場所に居ます。「私」からは見えないし、聞こえないし、考えられないし、匂えない場所に、真の私が居ます。
検出できない、だけど居るのです。
次回はその「真の私」を捕らえる情報をご紹介します。

~つづく~

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