「あなたはだあれ?」~肉体でも肩書きでもない、本当の「私」を探す方法 PART.8

全てが私

ある瞬間において、あなたが『「私」とは【この身体のこと】だ』と思ったとします。そもそも、私とは、認識するものなので、私が認識すると、認識されたものが出来あがります。この場合は、「私とはこの身体のことだ」と思い込んでいるので、【この身体】が認識された対象物になります。

もしも、この世にあるものを、【○○】と【○○以外の全て】に分類出来るのなら、【この身体】と【この身体以外の全て】にこの世を分類できることになります。すると、【この身体】が対象物なので、【この身体以外の全て】こそが、認識主体(本当の私)となります。次の瞬間に、「私とはこの脳みそのことだな」と思い込んだのなら、【この脳みそ】が対象物となる訳なので、【この脳みそ以外の全て】が認識主体(本当の私)となります。

「これは私だ」とあなたが思ったもの以外の全てが、本当のあなたになります。これが、「あなたは、あなた以外の全て」の原理です。

でも、普段の生活の中で「私とは、私以外の全てである」と思える瞬間なんかありません。「私は、この身体以外の全てなんだ! この身体以外の全てが私!」という想いが湧くことなんて絶対にありませんよね?

「私はこの身体だ」と思い込んで生きています。でも、真理では「私はこの身体以外の全てである」となる。
つまり、こういうことです。
「私は、全てである」。

① 日常では、私は【この身体】であると思っている。
一方、
② 【この身体】を認識出来ているところに、本当の私がいるはずだから、【この世にあるこの身体以外の全てのもの】も私である。

「①+②=この世の全て」なので、私はこの世そのもの。「私は、すべてである」と言うことができます。結局、「私」という現象が起こる場所には、一瞬にして、「○○と○○以外」に分別が行われているのです。本来は、全ての全てである私が、何かを「私」だと思い込むことで、その何かと、何か以外の全てに世界を分別します。

「私」という存続は分別の連続

身体だと思ったのなら、身体とそれ以外の全てに分割されることになります。脳みそだと思ったのなら、脳みそとそれ以外の全てに世界を分別します。認識とは、認識するものと、認識されるものがあって初めて経験できるのです。

分別した一方が、もう一方を見て、分別した一方が、もう一方を嗅いで、分別した一方が、もう一方を認識するのです。
だから全てが私なら、「私」は消滅します。「私」を認識できなくなるからです。「私」が消滅して、全てが私となる。ということは、「私」の存続は分別の連続です。

たったひとつのものを、「私」と「私以外」に分別することで、さまざまな経験をすることができます。「私」無しには、何も始まらないのだから。例えるなら、「私」とは、原子炉の制御棒のようなもの。全てである、一つのものの中に、スッとその制御棒を入れると、「私」が誕生します。スッとその制御棒を抜くと、すべてが私になります。

かぎかっこを付けた、「私」という表現が、端的にそのあたりの描写を表わしています。まさに、「私」なのです。世界からの分離を意味する「 」を付ければ、「私」になれるのです。「私」とは、認識を引き起こすための制御棒を入れた後に現れる不思議な現象なのです。

不思議な現象の「私」と、それを観測している「私以外の全て(本当の私)」。「私」を分割した制御棒を抜けば、全てになって「私」が消えます。

全てが私で、私が消える?
ほら、また頭が混乱してきました。次回は、今回の内容が全て覆ります。

~つづく~

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