あなたは人生最後の日にどのように過ごしますか?~「たとえ明日世界が滅亡しようとも」

自分自身が日々を精一杯生きる

たとえ明日世界が滅亡しようとも、今日私はリンゴの木を植える。
(マルティン・ルター)

この言葉を聞いて、明日世界が終わるのにリンゴの木を植えるなんてバカみたい!と思いますか? 普通に考えたら、育つ可能性が無いのに木を植えるなんて無駄に思えますよね。人はつい、環境や周りのことに惑わされて(またはそれを言い訳に)、努力をしても仕方ない(せずに済んだらいいな)などと思ってしまいがちなものです。

1999年ノストラダムス説、あるいは最近では2012年12月マヤ暦説など終焉が来たら怖いと思う半面では、いっそそれで全て終わってしまえば楽なのに……。なんて思う気持ちを誰しも抱いたことがあるのではないでしょうか。もっと簡単な例では、明日学校が休みになったら宿題しなくていいのになとか、漠然とそのような妄想をした経験がある人も多いと思います。かく言う私も子供の頃、よくそんな馬鹿げた妄想をしたものでした(笑)。

「いくら頑張っても、どうせ死ねば全て終わりなんだから無意味だ!」なんて考え出したら何もかもが虚しく思えてくるかもしれません。もちろん死ねばいったんは終わりですが、今は確かに生きていますよね?「死んで人生が終わること」と、「生きている今なにを成すか」はまた別問題です。「どうせ映画なんて2時間程度で終わるんだから観ても仕方ない!」という理論がおかしいことは誰にでも分りますね。それと同じ事です。

人生というのは、他の人がどうであれ、与えられた環境がどうであれ自分の人生の責任は自分にあるのですから、自分ができることを、疑いもせず、自分を信じて成していくことが大切です。

もちろん、隕石が落ちてきて世界滅亡!なんて自分の力ではどうにもなりませんから、マルティン・ルターの言葉のように、「自分は自分ができることを一生懸命にする」、ということが自分の人生の責任を取るという事。そしてそれこそが『誰と比べることもない自分だけの幸せを見出す方法』なのです。

 

だからもし明日世界が終わると知っても、私は今までと同じようにいつもと同じ時間に起き、朝食を食べ、歯磨きをして、家族の食事を作って、仕事をするような生き方をしたいなと常々思っています。明日がどうあれそれが自分でどうにもできない事ならば、今できることをするだけです。その上、もしかすると明日世界が終わるという未来が変わるかもしれません。そうなった時、いつもと違う行動をしたり、自分がなすべきことをしていなかったら、困るのは自分です。誰かに文句を言ってみても昨日という日は取り戻せないのですから。

周りはどうあれ、自分の魂の声をしっかり耳を澄まして聞き、自分がその時できることを当たり前のようにできる人こそ、人生に後悔することなく幸せに過ごせる人なのだと思いますよ♪