モロッコ見聞録PART.6~ベルベルってどんな人達?~

石器文化を築いたベルベル人

ベルベル人、と聞いてどのような人達を想像しますか?そもそもは、古代ギリシャで異国の民をバルバロイと呼んだことに由来します。ベルベル人は北アフリカの広い範囲にわたって古くから住んでいたベルベル諸語を母語とする人達の総称で、その祖先は、1万~1万4千万年前にカプサ文化という石器文化を築いた人達だと考えられています。

 

北アフリカ諸国でアラブ人が多くを占めるようになった現在においても一定の人口を持ち、文化的な独自性を維持する先住民族で、宗教はイスラム教を信仰。彼ら自身が自分達のことを指す言葉はアマズィークといい、「高貴な出の人」「自由人」を意味しています。ベルベル人はカビール人、シャウィーア人、ムザブ人、トゥアレグ人の4つを始め、リーフ人、シェヌアス人、シルハ人などのグループに分かれます。モロッコでは国の人口の約半数、アルジェリアでは約5分の1、その他にリビア、チュニジア、モーリタニア、ニジェール、マリなどで人口の数%を占めており、北アフリカのアラブ部族の中にはベルベルの部族がアラブ化したと考えられているものも多いのですよ。

ちなみにヨーロッパのベルベル人移民人口はおよそ300万人といわれており、フランス、オランダ、ベルギー、ドイツに、また北米ではカナダのケベック州にも居住しています。プロサッカー選手として活躍したフランスのジダン、そして女優の沢尻エリカの母親もベルベル人。

エリカ様に似てる?

ベルベル人の歴史

彼らの歴史は、侵略者との戦いと敗北の連続に彩られており、フェニキア、カルタゴ、ローマ帝国、西ゴート王国の他様々な王国がからみ、様々な民族がからみ、キリスト教やイスラム教もからんできます。

国や宗教が変わっても柔軟に対応し、様々な民族と混交(イベリア半島ではポルトガル人とスペイン人の遺伝子プールに影響を与え、言語的にも現在のスペイン語に対し、アラビア語と共に影響を与えた)を行い、知識層にも軍人としても活躍して生き残って来たベルベル人。イザベル女王によってスペインのアルハンブラ宮殿から追い出されたモーロ人も、実はベルベル人。

19世紀以降、マグレブ地方はフランスによる侵略と植民地支配を受け、ベルベル人は植民地支配に協力的なものと、抵抗するものに分かれていきます。近代国民国家を建設しようとする動きの中で、ベルベル文化への圧迫とアラブ化政策がかつてない規模で進められたため、20世紀後半になってベルベル語と固有文化を守っていこうとする運動が起こりました。

ベルベル文化の花嫁

壮大な歴史と共にヨーロッパおよびアラブ・アフリカ地域で生き残って来た民族であることがお分りいただけたでしょうか? ベルベルの文化を知る一つの手掛かりとして、モロッコのフェズで出会った家族の方に、見せて頂いた結婚式のお写真をご紹介します。写真に写っているのは、とてもエキゾチックなお姫様。独特の神輿に座って花嫁は登場します。

花嫁さんのお神輿 

衣装も伝統的なもので、イスラム教徒の花嫁は、結婚披露の日にはありとあらゆる装身具、装飾品で身を飾ります。頭にはタージュと呼ばれる王冠(ティアラ)を着けますが、これは透かし彫りにされた純金製!蝶番が付いていて頭の形に沿ってカーブするように出来ています。首にはレッバというネックレス。これは、スペインとベルベルの伝統を受け継いだ、金と宝石を使ったもの。翡翠の留め金の付いた真珠のネックレス(マデジュ)を着け、額に巻く飾り紐(セルタ)も真珠と宝石を使った房がついた豪華なものを使います。とてもキレイですが、とても重そう…。衣装も豪華ですよ。私が見せてもらった花嫁さんは、4パターンの衣装で写真に写っていました。

豪華な花嫁衣装 

民族衣装に欠かせない装身具の多くは、ベルベルの人達によって、スペインとアフリカの文化が上手にミックスされて、独特の雰囲気を醸し出しています。また、ハルクスやヘンナを使った入墨のイミテーションのようなボディペインティングには魔除けの意味合いもあるようです。手だけではなく、顔にも書くのが特徴。額の十字は病気を予防するため、眉毛は幸運を呼ぶため、鼻の頭に模様を描くのは魔除けのため、など、入れる場所によって意味が異なります。人生で特別な時を記念した儀式では実際に入墨をする事もあります。

 

一般のモロッコ人女性にとって、結婚式は一生に一度の大イベントなので、一般家庭の平均月収の3~4倍の費用をかけるのだそうです。しかし、モロッコでは家と家の結婚、という色が濃いので、家庭の財力をアピールする場にもなっているようです。 次回は、アトラスを越えて、マラケッシュに向うお話です。

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