『愛、アムール』誰しもが迎える肉体としての「死」、そして永遠なるスピリットの存在

『愛、アムール』誰しもが迎える肉体としての「死」、そして永遠なるスピリットの存在

穏やかな老後を送る夫婦に、病が忍び寄る

スピリチュアルカウンセラー・米国カリフォルニア州認可スピリチュアル講師のRev.REMIです。今回は、カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールを受賞し、第85回アカデミー賞で外国語映画賞を受賞した、ミヒャエル・ハネケ監督(70歳)の作品『愛、アムール』のレビューをお送りします。

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音のないエンドロール。会場は静まりかえっている。誰も一言も発することなく、すぐに立ちあがる人もいない。まるで、そこに居合わせた全員がいま目撃した出来事を反芻し、理解するため、時間を必要としているかのように。あるいは各々、浮かぶ記憶に思いを巡らせていたのかのように。

穏やかで充実した老後を送る音楽家の夫婦、ジョルジュとアンヌ。しかしある日アンヌが病に侵される。ジョルジュは病院を嫌うアンヌの意を汲んで、この上ないほどに忍耐強く自宅で妻の世話を続けるが、病状が徐々に進行してゆくアンヌには、夫ジョルジュを認知できているのかどうかも分からない。

それでもジョルジュは、変わってしまった妻に、遠い昔の思い出話を優しく紡ぐ。彼が語る昔ばなしの、まるで絵本を眺めているかのような、詩的ともいえる美しさ。観る者は、ジョルジュの繊細な感性が捉える優しい世界に、一時のささやかな安らぎを見出そうと試みる。

そのような日々を実際に経験した者にしかおそらく分からない、当事者の気持ちと孤立。老いを受け入れることが難しい若い世代の当惑。ときおりジョルジュの内なる心象世界を暗示する映像が差し込まれながらも、本作品は誰もがいつか直面することになる現実を、目をそむけることなく、夫婦の会話、音響、照明にいたるまで徹底した現実感で描き出している。

誰にも訪れる死。そして、永遠なるスピリットの世界

まるで人生の「最後の日々」をありのまま映したドキュメンタリー・フィルムのようだ。

加えて、私はスピリチュアリストとして、この作品の最後に興味深いシーンが織り込まれていることを言い添えておきたい。物語のクライマックス、妻アンヌの肉体が死を迎えたあと、アンヌのスピリットに起こることの意味。

目に見えないことを理解しがたい人にとっては、妻と同じく高齢で、ショック状態にあるジョルジュが幻を見たか、現実と記憶や空想の区別がつかなくなったのだろうと解釈するかもしれない。

しかし肉眼に見える以上の世界を認め、あるいは感知する人々にとっては、この場面は「肉体を失ったあとも、私たちは本来の姿であるスピリット(霊)に戻り、霊的な生の旅路を続けていく永遠の存在である」という、人間の霊的で本質的な事実の一端を指し示すものだ。

地上に生まれた人間である私たちは、誰しもいつか死すべき運命にある。しかし一方で、スピリットとしての私たちは、その物理的な器である肉体が滅びたあとも生き続ける。本当のところ、人は誰しも「永遠なる存在」であるということを、私はスピリチュアリストとしての数々の霊的体験から知っている。

『愛、アムール』の脚本はハネケ監督自身によるものだ。私は、本作が感傷や感情を極力排除し徹底したリアリティをもって描かれていることに衝撃を受けたが、それ以上に、霊的レベルで起きることまでもがリアルに描かれていることに、さらに驚いた。彼は、どのようにしてこの結論へ至ったのだろうか。興味深いこと、この上ない。

これほどまでに強く記憶に残る作品、見る者に問いかけるものの多い作品も、稀有であろうと思う。

実に、驚くべき作品であった。

『愛、アムール』
2013年3月9日(土)より、Bunkamura ル・シネマ、銀座テアトルシネマ、新宿武蔵野館 他全国ロードショー
配給:ロングライド
クレジット:
(c)2012 Les Films du Losange – X Filme Creative Pool – Wega Film – France 3 Cinema – Ard Degeto – Bayerisher Rundfunk – Westdeutscher Rundfunk

公式サイト http://www.ai-movie.jp/

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