小杉治の『人生山あり、谷あり』PART.9~『快楽と充足感』

小杉治の『人生山あり、谷あり』PART.9~『快楽と充足感』

2月になって2回目の投稿ですね。毎日寒い日が続きますが健やかにお過ごしでしょうか? いつもは自分の過去のブログを拡げて話を展開しているのですが今回は私の大切な友達(学びのパートナー)のFacebookへの投稿があまりに素晴らしいのでそれをアレンジしてシェアします。

快楽と充足感は同じ? 違う?

さて、皆さんは『快楽』と言う言葉と『充足感』と言う二つの言葉を意識して使い分けていらっしゃいますか?なんとなく使っていますよね。しかし、実はこれは非常にまずい事なんですと言ったらドキッとしますか? 何故なら人生の中で誰もが得たいと思う素晴らしい異なる二つのものを混同し、同じ方法でこの二つを得られると勘違いしてしまいかねないからなんです。

『快楽』と言うのは感覚そのものと強烈な感情からなる喜びのことで、それには絶頂感やスリル、歓喜、昂揚感、心地よさなどがあり、『生の感情』等と呼ばれているモノのことです。これは一過性のものであり、殆ど思考を伴わないで得ることが出来ます。SEXやジェットコースター、好きなチームの優勝の瞬間、会いたかった人に会えた時などがあげられます。

別に快楽を否定しているものではありません。しかし、どちらかと言うと自分の為であり瞬間的に手に入れやすく『生の感情』だけに流されていると本能的に動物的に刹那的な生き方になるような気がしませんか?易きに流されると言う言葉もあるように。

一方、『充足感』と言うものは快楽よりも持続するのですが、思考力や解釈力を駆使して努力する必要があるので、たやすく身に付くものではなく、自分の力や価値観の裏付けがあって初めて獲得できるものです。例を挙げれば受験勉強の末に志望校に合格をするとか、様々な資格を取るなどがそれにあたります。
また、常に感謝の気持ちを持って人に接していきいい人間関係を作り人から感謝されるなどと言う事はかなりレベルの高い充足感だと思います。

充足感は、「快楽」だけでは得られない

『充足感』を『幸福』と言う言葉に置き換えたら分かりやすいでしょうか?
快楽ではなく幸福に生きると言う事は決して『楽なこと』ではないのです。幸福になりたいと思い、幸福になるために生きると言う事は『楽になる』ことはあっても『楽が出来る』と言う訳ではないのです。『楽になる』ことと『幸せになる』(充足感を得る)事はイコールではないのです。

幸福感や充足感を得るためには手間暇かかりますし、努力や忍耐無くしては決して手に入るものではないともいませんか?
時には苦痛に感じたり、自分を信じられなくなったりするかもしれませんが、その先にある本当に手に入れたいものに近づくために、シッカリとハンドルを握りアクセルを踏んでいくしかないんですね。

一見、快楽ばかりの人の方が『幸せに見える』かもしれません。しかし、多くの場合、『快楽』と言う誘惑に負けた結末に良いイメージは有りませんよね。そして、もう一つは『快楽』だけを追いかけている人の中にはそこにたどり着くまでに死ぬほど努力をしたのかもしれないと言う事も忘れてはいけないポイントです。大したことはしていませんよ等と言う言葉に騙されてこの人は運がいい人だ等と思ってはダメですよ。

快楽だけをして幸福になる人はいないと思った方がいいでしょうね。後から付けが回らないように『充足感』を求めた生活をする事が大切だと思います。

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