夢を叶える奇跡のガヤトリーマントラ・コード PART.29 高次のものを求めるガヤトリーマントラ

夢を叶える奇跡のガヤトリーマントラ・コード PART.29 高次のものを求めるガヤトリーマントラ

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37,人はどのようにして人生を誤るのでしょうか。
たくさんの人が自分の本当の徳性を忘れ、肉体への執着にとらわれている。人生の目的を、肉体を喜ばせることと思い込んだまま、苦しみから逃れられずにいる。
肉体を自動車だとすると、アートマ(真の自己、たましい)は車を運転する人だ。ところが自分の本当の役割を忘れ、ただの乗り物にすぎない肉体が本当の自分だと思っている。
(「ガヤトリーマントラの恵み」(サイ ビルディング刊)※著作権フリー より転載させて頂いております)

38,それでは人生をいかに生きるべきなのでしょう。
人間の生き方とは、低次のものを捨てて高次のものを求め、大いなる存在の前に卑小なものを捨て去る、その絶え間ない犠牲の連続でなければならない。

私たちの多くは、自分という存在の本質が、肉体であると思っています。本当の自分が肉体であるなら、肉体を快適に維持するために、安楽な生活が必要になります。それは、お金や成功を追求する生き方に繋がるでしょう。
また、肉体的な快楽を深めるために、より多くのお金、より強大な権力、より華やかな名声が欲しくなります。

しかし、お金や権力や名声は、有限のものですから、それを手にするためには権力争いをする必要がありますし、いったん手に入れても、今度はそれを失う恐怖に苛まれます。そして、人生の終わりには、死とともにすべてを失わなければならない絶望感を味わうことになるのです。

そのようにすぐに失ってしまうものを、儚いもの、無常なものとして捉え、永遠なるものを求めようとしたのが、宗教性の歴史なのだと思います。それは、肉体に付随する低次なものを捨て去り、より本質的である高次なものを求めようとした人類の試みの一つなのかもしれません。私たちが高次なものを得ようとするなら、低次なものを捨て去らなければならないでしょう。私たちは低次なものを得ながら、あわよくば高次なものも手に入れたいと思うのです。しかし、低次なものと高次なものを両方、手に入れることはできないのだと思います。

なぜなら、低次なものと高次なものは、得られるプロセスが違うからです。低次なものは、肉体に基づく個別性を強化することで得られる快楽がベースになっています。エゴの強化と言ってもいいでしょう。

反対に、高次なものは、その個別性を超越することによって得られるものだからです。エゴの喪失と言ってもいいと思います。

ですから、得られるプロセスが真逆なので、その両方を同時に得ることは、本質的に不可能なのです。そして、人間にとって真に価値のあるものは、儚く有限性のある低次なものではなく、永遠に失うことのない高次なものなのです。だからこそ、私たちは、低次なものを犠牲にして、高次なものを求めていくという方向性が大切なのだと思います。

ガヤトリーマントラは、以下のサイトで、サイババが伝授している正しい唱え方の音源(無料)を聞くことができます。
http://www.sathyasai.or.jp/gayatrimm/gy.html

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