失われた音を取り戻す旅。長塚圭史・松たか子出演 「音のいない世界で」

失われた音を取り戻す旅。長塚圭史・松たか子出演 「音のいない世界で」

7、8年前に、「自然と環境」をテーマにしたラジオ番組に出演して、時間について、祭りについて、お話をした記憶があった。その番組のディレクターが、偶然にも隣の席だった。7、8年ぶりに、そのラジオ番組の製作者にお会いすることになった。舞台が始まる前に、少し話しを聞くと、先日、出演者の近藤良平さんがその番組に出演し、この「音のいない世界で」のことを熱く語っていたので観に来たとのこと。

近藤さんが、生後6ヶ月からペルー、チリ、アルゼンチンなど、南米に長く住まれていた。だからか、どこか、違う次元の感覚があるという。彼の話しから、一瞬、近藤さんのエネルギーの流れが伝わってきた。日本とは、違う音が流れていたのだろう。

 「音のいない世界で」

ある冬の日、大切なカバンを盗まれてしまったために「音」を失った貧しいセイ。
カバンを取り戻そうとひとり旅に出る。
カバンを盗んだ男の足跡を追って季節をまわるセイ。
セイがいなくなってしまったことで、夫もまた「音」を失ってしまう。
夫はセイを追って旅に出る。
セイの歩いた季節をたどる夫。
果たして2人は再びめぐり会えるのか。
また失われた「音」は取り戻すことができるのか。
そして盗まれたカバンの中身とはいったい?
季節をもめぐる不思議な一夜のものがたり

作・演出の長塚圭史と、古典バレエから、モーリス・ベジャールなど世界的振付家の作品に出演し続けている舞踊家・首藤康之。

この二人が、2年半前『ファウストの悲劇』の稽古をしていた時に、バーで飲んでいた。そのバーに、蓄音機があった。「音が盗まれるという芝居があったらおもしろい」と、二人で、そのバーで思いついた話が、この舞台のすべての始まりだった。

【心の舞台の創造】

想像してみて欲しい。
二人が、『ファウストの悲劇』の稽古中に、バーで飲んでいて、そのバーに、蓄音機がある。
あなたに、その蓄音機が見えてきただろうか。
何が、聞こえてくるだろうか。

その想像から、もう、この舞台の幕があがっていく。
あなたのこころのなかで。

この「音のいない世界で」の舞台が始まっていく。

「音が盗まれるという芝居があったらおもしろい」という会話が聞こえて来ただろうか。
その会話を、二人が始めたのと同じように、
心の中で、
音が盗まれるという芝居について、あなたも、語り続けてみて欲しい。
それが、この舞台の序曲なのだ。

タイトル「音のいない世界で」。
このタイトル、が、あなたの心のなかで浮き上がってくる。
このタイトルの力が、
あなたの心に、素晴らしい舞台空間をすでに、作り始めている。

 

こころのなかで、「音のいない世界で」という物語をあなたが、あなたの、感性が、人生が、創っていくのを、ただ感じればいい。
設定は? まだ、決まっていないのだ。

最初は、セイが声を奪われるという設定だったという。
役者も、最初は、沈黙の芝居を期待した。

音を失う、とは?
音とは何?
音が生み出す、日常の世界のなかの、幸せ、と、夢と、世界のつながりを、音を、カバンを取り戻す旅のなかで、取り戻せるのか?
二人の音を、取り戻すだけではない。
セイと夫は、旅しながら、「音の意味するもの」を世界に生み出していく。

 「ものがたりがはじまる夜」
貧しい二人が、疲れきっている二人が、カバンを広げる。そのなかには、蓄音機が。
あのバーで見た蓄音機が、舞台の上では、カバンのなかから出て来た。

そして、音楽が流れる。

二人の呼吸が、心が、その音に染まっていく。

新しい幸せな二人の現実の世界を生み出していく。
その現実は、音に、支えられている。

音。

音の力。

失われた「音」を取り戻す旅は、大人に、音を、子供の心にある大切なものを取り戻させる旅。

一瞬、27、8年前に、少女だったたかこチャン(松たか子)の姿が、今の松たか子と、2重になって、舞台が浮き上がったように感じた。

  (お父さんの松本幸四郎とお兄さんの市川染五郎に出演してもらっていた CMの説明に軽井沢の別荘に行った時に、たまたま会った、 まだ少女だった松たか子さんの姿、その記憶が、頭の中で生み出した幻想!?)

星の王子様の「大切なものは、目に見えない」というテーマと同じように、構成も、エピソードでつづられる。16のエピソード。

「穴掘るひととおしゃべりの嫌いな小鳥たち」
「月も星も音もない夜に、フクロウの森でふたり」

舞台を観る前にも、観た後にも、盗まれた音を、自分の心で探す旅に。

そんな旅に、旅立つことを、重要なテーマとして受け取れたなら、この舞台は、あなたの心のなかで成就する。

ふっと、ミヒャエル・エンデの『モモ』の時間泥棒の話も、同じように、頭をよぎるように浮かんできた。

『モモ』という物語の中では、灰色の男たちによって時間が奪われた。
「人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそっていくのです」

そして、モモが語りかけた時間は、時計の時間ではない、宇宙の時間!!!
「なぜなら時間とは、生きるということ、そのものだからです。
そして、人のいのちは心をすみかとしているからです」

時間と音を、言葉をすり替えてみる。

音とは、生きるということ、そのものだからです。

音、時間、目に見えないものの大切さを、
「音のいない世界で」という舞台をきっかけに、子供と一緒に考えてみる。
いや、子どもと一緒に、新しい生き方を見つける旅に出る。
2012年のクリスマスは、まさしく、そんなクリスマスを迎えているのかもしれない。

ダンスの近藤良平、バレエの首藤康之は、もともと言葉のない肉体の動きの世界の住人だった。
そこから、芝居の世界に。
動きから言葉が生まれる。
そんな不思議な演技法の、不思議な役者なのかもしれない。

女優の松たか子と、演劇の長塚圭史。
言葉の世界。
身体よりは、言葉という「頭で演じる」演技法。
その演技から、音がなくなったなら?
言葉の音、を失ったら?

松たか子にとっては、
セイという貧しい現実の世界の、ある冬の日の舞台でありながら、その舞台の上では、演技、という観点から、もう一つ、動きからと頭から、との俳優の演技の違い、つまり、演技法の違いを通して、もっと、人間の持つ普遍的なものを発見する旅だったのだと思う。

音を失ったら、というドラマが、もうひとつ生まれていたに違いない。
「ああいう風には、自分はやれない」
それは、稽古場での、演技者の心のなかの葛藤というドラマ。
いや、そういう過程を経た舞台だ、ということが観える。

今の演劇の趨勢からの評価はわからないが、「音のいない世界で」というテーマの切り取り方に、世界的な価値があることは間違いない。

想像力のある観客は、きっと、思うはずだ。
蓄音機のあるバーで、飲んでみたい。と

もうひとつの「音のいない世界で」を、あるいは無限の「音のいない世界で」をこころのなかで、創造しながら・・・・

その夢見心地のバーに、長塚圭史と首藤康之がいて、そして、そこに、松たか子と、近藤良平がやってくる。

「音のいない世界で」

 

『音のいない世界で』
2012年12月~2013年1月公演
作・演出:長塚圭史
振付:近藤良平
場所:新国立劇場
出演:近藤良平 首藤康之 長塚圭史 松たか子

★東北でも公演を行います!
【山形】 シベールアリーナ (Tel. 023-689-1166)
1月22日(火)18:30

【宮城】 仙台市宮城野区文化センター (Tel. 022-257-1213)
1月24日(木)19:00、25日(金)19:00

【岩手】 北上市文化交流センターさくらホール (Tel. 0197-61-3500)
1月27日(日)15:00

※会場によって発売方法等が異なります。詳細は各会場までお問い合わせください。

★詳細はこちら
http://www.nntt.jac.go.jp/play/20000597_play.html