モロッコ見聞録PART.1旅の始まり~フェズへ

(1)旅の始まり~フェズへ

日本は、日出づる国。アフリカ大陸の北西に位置するモロッコは、日が没する国という意味の“マグレブ”といわれる国の一つです。
私がモロッコに興味を持ったきっかけは、その異国情緒あふれる雰囲気を本やテレビで見かけたことにはじまります。その興味が高じて、ついに自分の店で扱うべくモロッコから直輸入で品物を取り寄せるようになり、折よく来日した現地の業者さん(日本人女性)と実際にお会いして、モロッコへの旅に誘われ、実際に現地を訪れる流れとなりました。

訪れたのは、ラマダーン(断食)が終わった10月のはじめ。できるだけ小さな荷物で来て下さい、といわれたので、一番小さなトランクを一つ持って、成田~パリ、パリ~カサブランカ、カサブランカ~フェズ、までの道のりを24時間かけて辿り着きました。

はじめに訪れたフェズは、789年にベルベル人ムーレイ・イドリス1世によって町が建設され、808年にその息子イドリス2世によってモロッコ初のイスラム王朝イドリース朝の首都がおかれた都市。1492年、南スペインのグラナダにあるアルハンブラ宮殿がレコンキスタ(再征服活動)で陥落した際には、そこから亡命してきたイスラム教徒が旧市街に住みつきました。彼らは、現在右岸にある「アンダルース地区」を形成、左岸は9世紀にお隣のチュニジアのカイラワンから追放された300家族が住みついて「カラウィン地区」と呼ばれ、見どころはカラウィン地区に集まっています。旧市街にある14世紀に建てられた神学校の壁に使われているタイルは、アルハンブラ宮殿で使われていたものと瓜二つでした。スペインからの移民やユダヤ人、近隣の国々との影響もあり、フェズはモロッコの宗教&文化の中心都市となっていきます。世界で最初の大学が建てられたのもここフェズの街。ちょっと意外ですね。


神学校のタイル

1912年にフランスとの間にフェス条約が結ばれると、モロッコの大部分がフランスの植民地となりました。その影響か、モロッコにはエル・ケアラ・ムグナというバラで名高い町があり、街中の薬局ではバラを使った化粧品が手頃な値段で入手出来ます。モロッコのバラ(ダマスクローズ)はブルガリアのバラとは異なり、渇いた土地ならではの豊潤な香りを持っています。例えて言うならば成熟した女性の色香といったところでしょうか。


薔薇のつぼみ

街ゆく人の顔立ちは、南スペインの街で見かけた人とよく似ていて、浅黒い肌に彫りの深い顔立ち。よく整備された町並みは、アフリカにいる事を忘れてしまいそう。話される言葉は、アラビア語のモロッコ方言。イスラム教の国なので、1日に5回の礼拝もあり、礼拝の前には“アザーン”と言われる「これから礼拝ですよ」というお知らせがモスク(寺院)に隣接するミナレット(尖塔)から流れます。日本では聞く事のない祈りの言葉。

旧市街には迷路のように入り組んだスーク(市場)があって、案内人がいないと、迷子になってしまいます。革のスリッパ(バブーシュ)やかばん、ラグやガラス製品、色とりどりの民族衣装、お化粧道具や香料、山積みにされたスパイス、積み重ねられた陶器、銀のアクセサリーなど、ウキウキするようなものがたくさん!中でも香料は、クオリティが高いです。日本でも有名な香木である“沈香”や、シバの女王の伝説で名高い“乳香”が陳列されたお店で買ったラベンダーの香油は、日本で売られているそれとは異なる、深い香りでした。


市場のスパイス


市場の果物


沈香と乳香

街ゆく人の中には敬虔なイスラム教徒の女性もいて、身体全体を覆うような民族衣装を身に纏って目の部分だけが外界に接しています。アイラインを施した眼力は強く、中近東に伝統的に伝わる“邪眼除け”の風習もなるほどとうなずけるものを感じました。

エキゾチックな魅力満載のモロッコの旅。次回はサハラ砂漠を訪ねます。