ホリスティックケア・プアマナの宇宙の法則・身体の法則 PART.9~この世に偶然はない?

横浜で女性のライフステージに合わせた鍼灸・美容鍼灸・疏泄マッサージの施術をさせて頂いているホリスティックケア・プアマナ(puamana)です。

この世に偶然はない。出合う人、起こる出来事。そのすべてに意味があるというのは本当だと思います。ただし、細部を詮索しすぎたり無理やり意味付けをしようとすると本来の目的からは遠ざかって行ってしまうことがあります。
考えることは大切なプロセスですが、考えていること自体が意識や脳といった今までの教育や習慣によって形作られてきた判断基準を当てはめようとする作業なので、自分に都合よく解釈してしまうだけ、ということにもなりかねないので注意が必要です。

 

実は、先日面白い出来事がありました。旅行の最終日に荷造りをした荷物を預けて観光に出かけ、駅まで行ったときに眼鏡がないことに気づきました。私は乱視の混じった近視なので常に眼鏡を必要とするわけではありません。ただ、旅行中は駅の表示や通りの名前など、少し距離のあるものを見るためにどうしても必要です。急いでホテルに戻って鍵を借り、部屋をくまなく探しましたが見つかりません。もしや?と思って預けたスーツケースを見に行くと、その取っ手にむき出しの眼鏡が挟まっていました。ケースに収めて喜んだのもつかの間、しばらくして眼鏡を使おうとケースから取り出すと、ツルが片方取れてしまいました。こうなると非常に不便で眼鏡としては通常の使い方をすることができません。その日は眼鏡の使用を断念し、一日裸眼で過ごすことになりました。

観光の途中で、なぜ眼鏡が使えなくなったのかな?と思った時にふと頭に浮かんできたのは「目に見えるものばかりに頼るな、行動をコントロールするな」という言葉でした。眼鏡がなければ私には通りの名前を読むことができません。そのために娘に行先や通りの名前をあらかじめ伝えて代わりに確認してもらうことになりました。前日までは私が一人で通りを確認し、先頭に立って行先を決めていたのです。遠目が効かない私に代わって、娘はついていくだけではなく、自分の力で目的地を目指すことになりました。私が先頭に立って歩いていれば、後から思い出した時に娘は目的地のことは覚えていても、どこをどう歩いて行ったのか、そこはどんな風景だったのかを記憶していないでしょう。しかし、自分の目で通りを確認し、自分の力で家族を目的地に導いたという経験は、旅の思い出とともに彼女自身の成長の記録の1ページとして刻まれることになったのではないでしょうか?

旅行中に眼鏡が壊れる、ということは不運といっても良いマイナスに思える出来事です。非常に困ったことになった、非常に不便だ、と考えることもできますが、一見マイナスに見える出来事からも学ぶことができるのだな、とつくづく考えました。

日常で起こる出来事のすべてに過剰な意味づけをして、自分が迷路にはまってしまうのでは本末転倒です。出来事の良し悪しを判断せずにただ起こったことを受け入れ、ネガティブに捉えず、そこから自分が得るべき学びを見つけることができればよいのではないかと思います。

今回眼鏡がなくなることで、私は遠くばかり、次のこと、先のことばかり見ているとうっかり見逃してしまうような小さな細工やショーウィンドーの飾り、そして俯瞰した視点からの全体像に注目することができ、先頭に立って他人をコントロールする人間の立場から、従ってゆく人間の立場を経験することができました。眼鏡がないなら、どうするのか、どうなるのか?無いものを数えるのではなく、そうなった今を楽しむことができたほうが毎日は楽しく過ごせるのではないかと思います。

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