ブータンしあわせ便り第22稿「に」~「日本人」

ブータンしあわせ便り第22稿「に」~「日本人」

ブータンにいくと、特に日本人は「なつかしい」感じがする方が多いのではないでしょうか。
私の年代の人間さえ、「あっ、なんだか昔の日本みたい」とその風景、風景をまるでかつて見たことがあるかのような想いにかられることがあります。
またブータン人と日本人はその風貌が非常に似ているため、ブータンにいくと、「大昔、どちらかの国からどちらかに民族が一部移動してできたんだよ~、日本人とブータン人は」なんてことを耳にします。私もそう思うな~。

実際、私が私服でも民族衣装でもブータンで何かの催しに参加すると、誰しもがゾンガ語(ブータンの母国語)で話しかけてきて、「日本人だよ」というと、みんなとてもショックを受けます。それぐらい似ているんですね。

またたとえば、ブータンの男性の民族衣装は「ゴ」といい、日本の「ゴフク(呉服)」とはやはり関係があるのではないかと思わせます。

ブータンに行くと、「日本人」だからということで、いろいろなことがスムーズにいったり、とても親切にしてくれるように感じたりすることがあります。
これは日本人の気質に尊敬の念を抱いているブータン人だから、そしてやはり日本人がブータンに対して行ってきた、貢献ゆえだと感じます。

その代表格といえる方が、ブータンの農業の父と呼ばれる西岡京治氏。1960年代とうブータンがまさに近代化に向けて歩み始めた時代にブータンに入国し、以後28年にわたりブータンに滞在し、「農業の父」と呼ばれるほどブータンに貢献しました。
また唯一のパロ国際空港は日本人による設計ですし、公式の王室写真も現在日本人が撮影しています。
また「日本人が作った橋だけは壊れないんだよ!」なんてブータン人は言いますが、トンネルのないブータンで、山々と川を結ぶ橋はたいていが日本人によってつくられたものです。
ブータンの本当に何もない山奥でテントを張り、作業に取り掛かる日本人の姿を目にするととても誇りに、そして頭が下がったことを今でも思い出します。ブータンに行く機会がありましたら橋を見てみてください。必ず、日本が作ったということが明記されています。

現在、ブータンへの旅行者はアメリカ合衆国からが一番多く、ついで日本となっています。旅行代(観光税)が高いせいかどうしてもそうなるのですが、西洋人がブータンに抱く東洋の桃源郷のような感覚と、日本人がブータンに抱く懐かしさにはとても大きな違いがあり、それはもしかすると日本人だけが感じられるものなのかもしれません。

ブータン人が逆に日本にやってくると、日本の田舎はブータンよりきれいだ!と感嘆することが多いです。たしかに衛生面ではまだ整っていないし、日本独特の美観などはブータンでは大自然そのものがある感じなので、まったく風景そのものが質的に異なります。
「日本はほんとにきれいで、よく手入れされてる。ブータンも温泉が沸くので温泉を日本の指導のもとでつくったけど、やっぱり国民性が違うから無理だな」という話も聞きます。確かに、ブータンの温泉に日本人が入る……ことはできないと思います。ブータンの温泉にいくと、人があまりにもルールを守らないため、ムチを持った係員が立っていたりします。日本人とどこか似ているようで、ブータン人の方がずいぶんと大らかです。

昨年の国王様の来日以降、ブータンを訪れる日本人の数は増えています。日本人はとても歓迎されるので、旅も一段と楽しいものとなると思います。
どこか似て非なる遠い親戚のようなブータン。これからも日本とブータンの良い関係が続きますように。

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