みちのく岩手 東日本大震災後の神社を訪ねて~その2~

見えない力に導かれ……津波からの奇跡の生還!

大杉神社の後に向かったのは、魚賀波間(ながはま)神社。
小高い山の中腹にあり、振り返ると眼下に山田町の海が広がります。
かつて震災前は、牡蠣やホタテの養殖網でいっぱいだったという、リアス式のおだやかな湾。
今は少しずつ復興が進んでいるものの、最盛期の半分にもなっていません。

8メートルの津波は、この神社の鳥居近くまで押し寄せ、下のまちはすべて津波によって流されました。
ここでも上澤富士夫(宮司)さんや地元の氏子の方々がお話くださいました。

大杉神社でもそうでしたが、ここ魚賀波間神社でも、避難場所になったのはもちろん、支援物資を調達し、配布する支援拠点となっていたそうです。
氏子さん同士のネットワークがある神社のもつ重要な役目をあらためて感じました。

ところで、とても興味深いお話を聞きました。

氏子総代の福士一郎さん(78才)。
この方も猟師さんで、3度の飯よりもお祭りが大好き、という方です。
ここ魚賀波間神社のお祭りは、獅子舞、大神楽、虎舞という3つの郷土芸能があります。

「地震のときはよう、山の方にいたんだけれども、沿岸部の家が気になって様子を見に、軽トラで降りてきたんだ。ちょうど家に入ろうとしたそのとき、ごーっと津波が堤防を越えて襲ってきたんだ。あっという間に腹まで水につかって。とっさに、軽トラの荷台にのぼったら、それがプカプカ浮いてな。そのまま流れて。そしたらどこかの屋根が流れてきたんで、今度はそれにのぼったんだ。もう、屋根が流れているのか、まわりが流れているのかまったくわからない。近くでは『助けて』と叫びながらのまれていく人もいた。けど、何もできない。そのまま屋根の上で一晩中過ごした。もう全身びしょぬれで。雪は吹いているから寒くて冷たくて。凍らないように、バタバタ体を動かしてなあ。何時間たったかわからない。とにかく恐怖のあまりその時の記憶がないんだ。そしたら岸辺に消防団の光が見えて。それで助かったんだ」

……津波にのまれながらも生還した人の生のお話は、まるで映画のようで、息をのみました。
お話をしてくれた福士さん、奇跡的に怪我もなく、救助された後はあちこち動き回ります。

「そのあと、神様が流されたときいて、何日か後に探しにいったんだ。そしたら、ほれ、瓦礫の中から見つかった!」

見つかったのは、神楽の頭(かしら)部分でした。
ここでは、神楽といえども、神様のご神体として、丁寧に扱っているようです。

この信仰心が彼の命を救ったのか、それともたまたま運が良かっただけなのか……
それでも、地元の人の口からはよくこんな話が出てきました。

「どこそこのだれさんは堤防の上にいたのに助かった。彼はいつも神社に奉仕しているからなあ」
「車ごと津波で流されたけど鳥居の前でとまって助かった。神様のおかげ。ありがたい」
「ご神体は、前回の江戸時代の大津波で流されても必ず見つかる。今回も全部見つかった」

それぞれが「見えない神仏の存在」を感じ取っているのです。

だれでも生きるか死ぬかの瀬戸際になり、すべてを天にゆだねると、目には見えない何かの力が働くのがよくわかるのかもしれない……そんな風に思いました。

~その3へ続く~

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