約束の場所・セドナ 第1話 「トゥルーライフを求めて」

日暮れ間近の成田空港にて。

 

「今度の夏休みはセドナに行かない?」と妻に誘われたのは、仕事で精神的に追い込まれていた2010年の梅雨時でした。何かを変えなければいけない、でも何を変えたらいいのか分からない状況だったこの時に誘われなければ、もしかしたらセドナは一生縁のない場所だったかもしれません。

そして数ヶ月後、成田を出発してロサンゼルスを経由し、真夏の熱気に包まれるフェニックスに降り立ちました。セドナへと向かう車中では、自分でも不思議なぐらい高揚していて、何かが変わりそうな予感で胸が高鳴っていました。


ロサンゼルス国際空港で乗り継いでフェニックスへ。

私が勤めていた会社は、分単位で時間に追われ、職場では怒号が飛び交い、常に険悪な空気に包まれていました。長時間の残業は当たり前で、帰りはいつも終電ギリギリ。たった一つミスを犯しただけで、全社員の前で見せしめのように叱責され、さらに月給を数パーセント引かれるので、緊張で常にピリピリしていました。その過酷さに嫌気が差して、辞めようと思ったことは一度や二度ではありません。

しかし会社を辞めることが何よりも恐怖だったので、急流に浮かぶ丸太にしがみつくように必死に我慢して働いていました。

そして2010年春、会社の飲み会で日頃の鬱憤を晴らすかのように飲んだ挙句、駅のホームで転倒して全治一ヶ月のケガを負い、長期の自宅療養を余儀なくされました。その後、職場に復帰したものの、ケガの後遺症が残っており、以前のように集中して仕事ができる状態ではありませんでした。医者に相談すると「なるべく無理をせず体を休めるように」と言われましたが、無理に無理を重ねて働かなければならない職場環境では許されない状況でした。セドナへの旅行に誘われたのは、そのようなときだったのです。


セドナへ向かう車窓から。山の稜線に日が落ちていきます。

「赤い岩山に囲まれた町で緑が少なそう……。ここに行くことで何かが変わるとは、到底思えない」というのが、私のセドナに対する第一印象でした。エッセイやガイドブックを何冊か読んで、セドナが風光明媚な避暑地であるということや、スピリチュアルの聖地としてマスコミにも取り上げられ、とても人気がある場所だということを知りましたが、最初の印象はなかなか拭えませんでした。

それに人生初めてのアメリカ旅行だというのに、ロサンゼルスやニューヨークといった誰もが知っている大都市ではなく、なぜ今まで聞いたことのない小さな町に行くのか疑問を感じていました。

しかし、まるで人生を大きくチェンジさせるスイッチを押したかのような出来事が、次々と起こることになるとは、この時は全く想像していませんでした。


セドナに着いたときに見た夕暮れと三日月。

この連載では、現代社会の荒波に翻弄され、辟易していた自分が、セドナを訪れることによって本当の人生を歩むべく変わっていった様子を、ありのままに綴りたいと思っています。

セドナで経験した様々な出来事と、その後に起こった変化をお伝えすることで、セドナの不思議な力の一端をお伝えできれば幸いです。そしてこれからセドナを訪れようとする方への参考になれば、これほど嬉しいことはありません。