偉大な心理学者ユングとフロイトの軌跡を辿る史実に基づいた映画~「危険なメソッド」

恋愛、純愛にも、詭弁、欺瞞がある。
それは人間の本質にはしっかりと、詭弁や欺瞞が存在し、行動や言動、理性や衝動などに働きかけているという、証拠であるといえるだろう。

本作では、ユング、フロイト、そして彼らの患者であったザビーナとの揺れ動く関係が、色濃く描かれている。
同時に、そのすぐそばで、ユングを見詰め続けている妻の存在も静かに描かれ、さながら、ユングの妻とザビーナとを、「静」と「動」の相対として置かれているように思える。

ストーリーは、29歳の精神科医ユングが、ザビーナという女性患者を受け持ち、大家フロイトが提唱する“メソッド”談話療法の実践を軸に展開していく。
そのメソッドが繰り返されるなか、いつしか医師と患者という境界から離れ、まるでそれぞれの独白のように、全編から観客に流れ込んでくる。
またさらに、ユングは友人フロイトにも自分自身を“独白”し、それらへのフロイトによる分析という形で、フロイトの“独白”も表れてくる。最後には「静」であるユングの妻も、精神科医となったザビーナに自分自身を“独白”。それは物語の結末を知らせる「暴露」であると言えるだろう。

世の中すべての人間関係において、表面的にはたわいのないお喋りであっても、その中心にあるのは“独白”や“自分自身の吐露”であると考えられるが、そこにはつい、自分自身の主観のみに偏りがちな危険をはらんでいる。
どんなに強い信頼や愛情があったとしても、その偏りがゼロになることはありえないし、時には詭弁や欺瞞に満ちることもあるだろう。そして“愛”や“自由”、“理性”や“衝動”について、いぶかしく思うこともあるだろう。
それらに対し、人々はどう立ち向かい、どう生きていくことが本当の幸せなのか、この作品を通じて考えるきっかけとなり得るし、また、人間の弱さや醜さをすべて否定することが正しいだけとは限らない、と感じることができるかもしれない。

ザビーナを演じるキーラ・ナイトレイの熱演には強く惹きつけられるが、それを支えるマイケル・ファスベンダー、ヴィゴ・モーテンセンの、控えめながら過激な演技には、物語全編に描かれる“快楽”と“理性”を導き出し、大きく表現されているといえるだろう。

また、衣装やセットなども、時代背景の表現のみならず、登場人物それぞれの心情や意志を、シンプルながらも骨太に表現して支えており、旅行や転居においても、その結果よりも行程や道程に重点がおかれ、観る者にも精神分析の愉しみを味あわせてくれる。
その余韻は、鑑賞後にも観た者の内面に働きかけ、あるいは、実在したユング、フロイト、ザビーナたち三人の、リアルな生涯に興味をつながれるかもしれない。

現代の揺れ動くこの社会のなかで、「人」に対して秀逸に働きかけてきてくれる、秀逸な作品であるといえるだろう。

▼『危険なメソッド』
監督:デヴィッド・クローネンバーグ
出演:マイケル・ファスベンダー/ヴィゴ・モーテンセン/キーラ・ナイトレイ/ヴァンサン・カッセル
http://dangerousmethod-movie.com/
10月27日(土)TOHOシネマズシャンテ、Bunkamuraル・シネマ他全国ロードショー
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