神の宿る宮「岩楠神社」~兵庫県淡路島岩楠神社の天岩戸~

友人に連れられて、淡路島を訪れた。
この友人は、一時、日本各地のスピリチュアル・スポットの取材を手が けていて、海外のドキュメンタリー番組制作なども行うジャーナリストで、旅のナビゲーターとしては特筆すべきスキルを持っている。「淡路島でどうしても連 れていきたいところがある」と言われて、いやがうえにも心が騒いだ。

「……そこはね、岩戸なの」

岩戸といわれれば、太陽神の天照大神(アマテラスオオミカミ)が弟のスサノヲの乱暴な振る舞いに怒り,引き蘢ってしまった天岩戸を想起する。天岩戸 とは日本神話に出てくる岩でできた洞窟で、天岩戸説話は天上界の出来事なのだけれど、神話を目に見える形で解釈したいという人々の思いから、「ここが天岩 戸!」とする場所は日本中に点在していると聞いている。

それはどれほどに大きな岩戸なのだろう!?
神様がすっぽりと引き蘢ることができるほどの大きさって?

場所は淡路島の北端の岩屋港の傍らだということ。
でも友人は、一度訪れたものの、なかなかその場所を見つけることが出来なかった。歩き回った末に,たどり着いた神社は、岩楠神社(いわくすじんじゃ)という小さな神社。

立て札の説明によると、この神社は、イザナギノミコトとイザナミノミコト、そしてふたりの間に最初に生まれた、蛭子命(ひるこのみこと)が祭られているとある。友人の話ではそれに加えて、イザナギミコトの墓所だと地元では伝えられているという。
港に向かって建っている赤い鳥居をくぐると、戎神社(えびすじんじゃ)の社殿があり、その裏に、岩戸のある岩楠神社はあった。

足を踏み入れたとたん、それまでの通りから聴こえていた車の音や人の声がぱたりと止んだような気がした。
突き当たりは山になっていて、その下にふたつの開口部のある洞窟が控えていた。その洞窟の入り口に向かって特異な静寂が押し寄せていた。
山から微風が吹き降りてきた。

わたしは思わず、「ここに神がいる」と強い感覚に襲われた。そのような神性の空気を神社を訪れて感じたのは初めてのことだったので、自分に驚いていた。

突然、温かい懐かしいような感情が胸の奥から突き上げて、知らぬまに、涙が流れていた。その 感情は,畏敬の念と狂おしいほどの愛おしさがなまぜになった、かつて経験をしたことのない種類のものだった。あまりにも質素でささやかで、それでありなが らすべてを包み込んでくれるような、このエネルギーの豊かさと大きさをいったいどのような言葉で表現したらいいだろう。

神の宿る宮。紛れもなく、そこには神が私を抱きすくめる大きな掌がある、そう思った。