静かな社会現象……「優しい虐待」とは?

先日の実験の折、志賀一雅工学博士にまたもや興味深いお話を伺うことができました。
「優しい虐待」という言葉を耳にされたことはありますか?
今、静かな社会現象になっているキーワードだそうです。

虐待がその語義のままに言葉や実際の暴力、ネグレクトなどでなされるならば、それはどこからどう見ても虐待です。
ですが、している本人もされている本人も気付かない虐待があるそうなのです。それが、「優しい虐待」。
例えば、習い事に行かないで本当は遊びたい子供がいるとします。しかし、母親に「習い事行かないの?」と咎めるような顔をされる。それを見て、「ううん、別に遊びたくなんかないよ、習い事に行くよ」と自発的にそちらを選んだように対応する……。
しかし、その子は本当は遊びたかったのですが、習い事に行かないことで母親ががっかりしたり怒ったりするのを回避したかっただけなのです。
嫌なのを我慢してニコニコ顔をするということは、脳本来と逆のことをやってしまっている。
無理矢理新しい不自然な回路をつくってしまうのだそうです。

このお話を伺って、あっ、これ自分のことだ!と思い当たる方は意外に多いのではないでしょうか?
塾など、親が勧める習い事をやらされるお子さんのほとんどは上記の経験があるかもしれません。親は子供のために「よかれと思って」高い月謝を払って塾や習い事に行かせてくれるわけですから、そこに「虐待」という言葉をつけると、ギョッとされてしまうかもしれません。
しかし、「優しい虐待」をされた子供達も、大人になって不定愁訴や消化器系疾患など、本当に虐待されていた子供達と同じ症状が出ることがあるそうです。
一番早く出るのが消化器系で、次に循環器系、更に内分泌系などに疾患が出る例が多いとのことでした。

お子さんのために善かれと思って教育熱心に育てた親御さん、そのように育てられたお子さんにとっては耳に痛い事実ですが、こういう事例があることだけでも情報として受け止めておけば、同じ状態に陥るお子さんは今後減らせるのではないでしょうか。
このお話を伺って考察してみたのは、昔は上記のような育て方がある程度トレンドだったと言えると思うのです。
例えば戦後の発展期の三種の神器が冷蔵庫・テレビ・洗濯機であったように、今大人の世代の幼少時は、余裕のある家庭は子供の習い事に予算を割くのがステイタスのような感じで。

しかし、今やその弊害に関するデータがこうして出てきているので、子育てに関する違うやり方を模索し、確立すべき時に来ているのではないでしょうか。
志賀先生は「つらい体験は畑に埋め込んだ肥やしのようなもの」と仰っています。肥やしそのものは食べませんが、大変であれば大変であるほど良い実がなる。
あらゆる虐待を受けられた方々にとっても、その経験ゆえの大きな果実を手にされることを願って止みません。