私の知らない私~無意識に潜む影~PART.3

「これさえあれば私は幸せになれる!」
私たちは間違った神頼み、ニセの神様を崇拝することがあります。これを『偶像崇拝(アイドル)』といいます。

例えば、≪自己概念≫っていうアイドル。
≪自己概念≫のアイドルがある人は、自分が誰であるのか?がとっても重要になっています。「私が何者なのか?」とか、「私はいかにスピリチュアルな人間か?」とか、「いかに優れた人か?」とか。そういうことに執着しすぎて、ちっとも幸せになっていなかったりします。

また、≪ハートブレイク≫のアイドルがある人は、「傷ついた経験をすれば幸せになれるんだ」というような思い込みがあります。ハートブレイク・心の痛みを崇拝してしまって、ハートブレイクを“至高体験”かのように誤解してしまうのです。

至高体験とは、恍惚的な体験のことです。ハイになるような体験。傷ついた時の感傷的な感じや、痛みそのものがスリリングだったり、たまらなくドラマティックな体験になってしまって、やがてはどんどんハートがボロボロになっていくのです。

≪人間関係≫というアイドルがある人は、「人とつきあってさえいればいいんだ、人づきあいさえやっていたら自分は幸せになれるんだ」と思っています。そこに親密感はなくてもです。

いろいろな偶像・アイドルがあるのですが、この偶像を創った原因そのものが間違っています。偶像ができた原因というのは、私たちが人生最悪のときに体験した、苦悩の気持ちへの執着であったり、あるいは、先祖代々伝わる偶像崇拝の無意識のパターンをそのまま引き継いでしまっている場合もあります。

偶像が1つでもあると、それを支えるために他の偶像を生みだしてしまったりもします。例えば、≪ハートブレイク≫のアイドルを持っている人は、必ず≪自立≫のアイドルも持つことになります。

自立というのは、「自分のやり方で生きていく」ということなのですが、ハートブレイクがあると、「人とやり方を分かち合う」ことはできず、「自立」してしまいますし、「自立」すると、ハートブレイクはもっと酷くなります。

あらゆる偶像崇拝は「ごまかし・まやかし」です。ニセの神様なのです。人生が生命の方向ではなく、死の方向へ向かう罠です。ずっと、取り憑かれていると、場合によっては死に至ることもあります。

偶像崇拝を見つける手段としては、「私にとっての至高体験は何だろう?」と自分に聞いてみた時に、でてきた答えがヒントになったりします。
「そのアイドルを持つことでどんな利益を得ようとしているのか?」、「そのアイドルを持つことでどんな罪悪感を帳消しにしようとしているのか?」ということを自分に聞いてみます。
そうして、自分の偶像を認識して行くだけで、ずいぶんと人生の方向性が変わっていくと思います。

次回は私たちのパーソナリティに関わる大きな罠についてお話します。

★バックナンバーはこちら