人生は「受け入れるドラマ」[江原啓之氏「スピリチュアリズム講座」レポート・前編]

「人生は受け入れるドラマである。もがき苦しみ生きるだけでも価値があり、すばらしい」。
5月12日、草月ホールで開催された「スピリチュアリズム講演会」の冒頭、江原啓之氏はこの言葉を放ちました。このことが理解できて初めて、スピリチュアリズムが理解できたということになるのだ、と。

あなたがスピリチュアルな世界に触れるようになった最初のきっかけは、何でしたか?
幼い頃から感覚を備えていた人もいらっしゃるでしょう。気がついたらその世界に触れていたという人もいらっしゃるでしょう。そしておそらく、多くの人は、何か苦難にぶつかったとき、スピリチュアルな考え方に癒されたことがきっかけだったのではないでしょうか。

スピリチュアリズムの本質が「受け入れるということ」だとしたら、悩みを解決する効果を自分の外側に求めるというのは違うのではないか、という江原氏の主張がありました。効果を求める、これは一種の成果主義。

この物質的な価値観に支配され、江原氏をはじめとするスピリチュアリストに助けてほしいと願うことで問題解決の効果を得たいと思う人が多いことを、彼は嘆いていました。人生が「受け入れるドラマ」だとしたら、悩みの種となっている物事でさえも「これで良いのだ、これが学びなのだ」ということになります。そう、悩みの根源を解決しようとすることは、突き詰めて考えるとスピリチュアル世界の意に反しているのではないか、というのです。

江原氏は次のような例を挙げました。
たとえば、生まれながらにして身体に障害がある人が「この障害はどうすれば治るでしょうか」という相談をすることは少ない。けれども、「父がダメ男だからどうにかしたい」という相談はよくあるケース。少しでも改善できる可能性があると思ったら、途端に人は成果主義に陥ってしまうのです。人生で起こることは、自分の魂の根源である神界をはじめとする上の世界から「あなた、ちょっとここで問題にぶつかってみて」と学びの機会を指令して起こっていることです。だから変に解決しようとか、目先の改善効果を謳った「うそスピリチュアリスト」に相談したりしようということ自体が本当はおかしい。そのままで良い、それが学びなのです。本物のスピリチュアリストなら目先の効果や得は謳いません。うそスピリチュアリストは目先の得を謳います。星占いなんかである「今日は臨時収入があるかもしれません」なんて、サラリーマンの人はいったいどこから得られるのか聞いてみたい、なんて思ってしまうくらいです、と。

「私の前世って、何でしょう?」と聞く人に限って、今取り組むべき問題から逃げようとしている傾向にある、という指摘もありました。自分に起こっている問題はすべて必要だから起きていること。それなのに前世にさかのぼってそこから解決方法を探るというのは、なにか違っているのではないか。江原氏の話は、スピリチュアル世界の芯の部分を次々と私たちに見せてくれたように思います。

そして話題は少しずつ、女性の生き方や「絆」についてへと移っていったのでした。
続きは、後編で。